新撰組 局長 近藤勇の墓へ、
しかし、近藤勇の墓は、日本にいくつも存在しています。ここにあるのは、鬼の副長 土方歳三が、建てたとされています。その建てる時、土方歳三も、立ち会ったそうです。
話では、官軍にばれないようにする為奥地に作られたなんて言われてました。
実際行ってみると、かなり 上の上にありました。
そして、もう一つの話では、会津城下を見渡せるこの場所へ、京都守護職であった 松平容保に頼んだという話です。
その隣には、土方歳三の墓もあります。
二人とも、死んだ場所は、会津ではないのですが、それ程 新撰組は会津の殿様、松平容保の信頼が厚かったのでしょうね。
二人のお墓を写真に撮ることは出来ませんでした。
その後、資料館へ
ここには、新撰組になる前の 浪士組だった時、近藤勇の他に、もう一人芹沢鴨という局長か、着ていたとされる、鎖帷子がありましたが、写真は撮れませんでした。
ここの館長さんからも、近藤勇の墓の話を聞きました。あそこには首も遺体も無いだろうが、埋葬する時土方歳三が、御骨箱らしき物を入れてる。がしかし、何が入ってるかは、分からない。きっと、二人の思い出の品だろうね?
30分程、館長から沢山話を聞き、
斎藤一は、知ってるか?
知ってるならそこにも行くと良い。ここから近いから。
そして、そのまま向かいました
新撰組 三番隊長 斎藤一 の眠る墓。
ここでは、書ききれないほど、波乱の人生を歩んだ人です。戊辰戦争後 青森県の下北半島に赴いたそうです。その後 警視庁 の警察官になり西南戦争では、せごどん率いる軍隊と戦ったそうです。
この日は、偉人巡りになりました。m(_ _)m